堂本剛、なぜファンクミュージックを?人生やめたくなった時期とは?

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kinkikidsの堂本剛さんが鈴木雅之さんがゲストの「おしゃれクリップ」(日本テレビ系日曜22:00~)にコメント出演されました。

その番組のコメントで「ファンクミュージックに出会ったきっかけ」として、「人生やめたくなった時期」とおっしゃってました。

そこで堂本剛さんが、
人生やめたくなった時期と理由は?
ファンクミュージックを聞くきっかけは?
というのをまとめてみました。
よかったら最後までお付き合いください。

堂本剛の経歴

堂本剛の画像
画像出典:superstarsbio.com

生年月日:1979年4月10日
出身地:奈良県奈良市
血液型:AB型

事務所入所のきっかけ

実は堂本剛さんは小学5年生まで子役として活動されていた時期がありました。
その後、子役を辞めバスケットボールにも夢中になっていた小学校6年の時、お姉さんが勝手に履歴書をジャニーズ事務所に送ったことがきっかけで光GENJIのコンサートに招待されます。
ただ、堂本剛さんご本人は中学受験も考えていて事務所に入るつもりはなかったそうです。
お母さんに「断るにしても自分の口から言いなさい」と言われ、光GENJIのコンサートを鑑賞し、そこでのちの相方となる堂本光一さんと出会います。

堂本光一さんは堂本剛さんと出会って事務所入所を決断したそうで、剛さんも光一さんに誘われる形で事務所入所を決めました!

事務所入所後も同じ苗字であった二人は2人揃っての活動が多く、1993年に「KinKi Kids」が誕生します!

 

グループとしても個人としても大人気に!

Jr時代からファンの間では大人気だったお二人はKinKi Kidsとしての活動より先に数々のドラマや冠番組の出演が続きました。
人間・失格」「若葉のころ」「ぼくらの勇気 未満都市」などのドラマにはW主演しました。
また、堂本剛さんも「金田一少年の事件簿」「君といた未来のために」「to Heart~恋して死にたい~」「Summer Snow」など1995年~2005年まで毎年ドラマで主演を務めるなどテレビで見ない日はないくらい大人気でした!

ただ、この多忙すぎる時期がのちに堂本剛さんを苦しめることとなります。

死にたくなった10代

堂本剛さんは元々人前が苦手で、何かあると胃薬を服用することが多かったそうです。
芸能活動のストレスと自身の想像を超える人気ぶりが次第に堂本剛さんの体と心を壊すことになっていきました。

パニック障害と過換気症候群

CDデビューしたての頃に過呼吸を発症し、2000年夏のコンサートツアーにて公演の途中で過呼吸の大きな発作に襲われた。
そして、2003年5月のドームツアーの途中で体調不良で倒れたことがきっかけとなり事務所のサイトにて「過換気症候群、パニック障害」と闘病中であることを告白しました。
堂本剛さんはこれまで色々なインタビューなどで当時のことを振り返っています。

「若い頃は自分の心の声を聞く時間なんて与えられず、周りの期待に応えなければと、必死に過ごして苦しんでいましたから」

「何気ない言葉でも、いちいち傷つく自分にとっては、痛く響きました。『ぽくない』と言われる性質で、楽しんでもらえる場面もあるし、迷惑を掛けてしまう場面もあるだろうし」

「自分を出さないといけない仕事と、出してはいけない仕事とが混ざり合っていたから、周りの意見にその都度合わせていくように頑張り過ぎて、壊れてしまった」
引用:LINE NEWS

10台で一気にスターへの階段を上り、周囲の期待も大きくなるにつれ「本当の自分」と周りが思う「堂本剛」像のギャップが大きくなっていきます

明るく、よく笑い、時におどけながらステージに立ち続けた。さも社交的な人間であるように振る舞い、多忙なスケジュールをこなした結果病に侵されることとなってしまいました。

本当の自分を生きたいのに、生きることが許されない。
閉塞感やプレッシャーは心をむしばんだ。
堂本はそんな若かりし頃を「生きる希望とか意味が理解できなくなった切ない時期」と振り返る。

「『死という言葉を簡単に言ってはいけません』。そう、深く理解しているのに、それを口に出してしまうところまで、人はたどり着いてしまうことも勉強しました」

「生きることが辛いと溢すと『精神的に弱いよな、アイツ』と片付けてしまう人もいます。なぜそう溢しているのか聞く耳も持たない人すらいる」
引用:LINE NEWS

高所恐怖症を隠してスカイダイビングやジェットコースターに乗るなど、ご本人にとっては過酷な企画にも挑戦されていました。

18歳からの5年間は死にたいと思っていたが、音楽やギターと出会えていなかったら、僕はもう居ない。」とも振り返っています。

ファンクミュージックとの出会い

堂本剛さんがファンクミュージックを聞くきっかけはある大きな出会いからでした。
当時KinKi Kidsが出演していた「堂本兄弟」などで共演していたギタリスト・土屋公平さんのフレーズを聴いたとき稲妻を打たれたような感覚になったそうです。

堂本剛さんは「大先輩にこんなこと言うのも…」とも思ったが、勇気を振り絞って「先ほど弾かれたギターのフレーズがとっても素敵でかっこよかったです。それだけ伝えたくてお声がけしました。」と話しかけたそうです。

すると土屋公平さんから「きみは今、ロックをやっているけど、本当はブルースが好きなんじゃない?」と言われ、試しに聴いてみたらかっこよかった。

さっそく土屋さんにその旨を伝えると、「次はファンクを聴いてみて」と勧められた。
この日を境に堂本剛さんがファンクミュージックを好んで聴くようになったそうです。

堂本剛が思うファンクミュージックとは?

スライ&ザ・ファミリー・ストーンのほか、ラリー・グラハムやジョージ・クリントンらを追い掛け、堂本はファンクの世界にのめり込んでいった。

「彼らの音楽には純粋無垢に『音を楽しむ』人間力が宿っていて、それが当時の僕には自由だと感じた。こんな風に生きる喜びを音にしていいんだって。ファンクは自分の探し求めていた音楽であり、生きる喜びがあり、力が勝手に湧きました」

「僕は、ファンクミュージックに出会うことで自分を取り戻せた人間です。昔は周りの声を真に受けて苦しんでいたけれど『それって誰が決めた自分なの? 自分で決めた自分なの?』っていうことをファンクミュージックから教えてもらったから、やめられない。『やめる=自分ではなくなってしまう』ことだから」
引用:LINE NEWS

10代で自分を見失いかけて終わらしたくなるほどしんどい思いもされてきた堂本剛さんだから、その自由さや直感的な曲に助けられたようです。

突発性難聴を発症

2017年に突発性難聴を発症した堂本剛さんはその後の音楽活動にも支障が出てしまいます。
今もなお後遺症に悩まされ、レコーディングやライブで悔しい思いもするとラジオやブログで吐露することもあります。

ただ、自分がやりたい音楽を少しずつ形を変えながらも届けていきたいという思いを持ち続けたいと話しておられます。

10~20代で苦しみながら今も活動し続ける堂本剛さんに救われている人たちもきっとたくさんおられるでしょう♪

まとめ

今回は堂本剛さんについてまとめてみました。

今年に入り、ももいろクローバーZの百田夏菜子さんとの結婚も発表されましたね!
家族や相方・堂本光一さんをはじめ支えてくれる方が増え、これからどんな音楽を届けてくれるのか今後の堂本剛さんの活動も楽しみです(^^♪

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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