今年7月26日から始まるパリ五輪!
東京五輪から正式種目となったサーフィンで日本代表となった松田詩野選手についてまとめてみました。
東京五輪内定からの屈辱!
そこからのパリ五輪決定までのモチベーションはどう保てたのか?
五輪本番会場のタヒチの波はヤバい?
松田詩野選手が語るサーフィンの魅力とは?
など色々な情報をまとめてみましたので、よかったら最後までお付き合いください。
松田詩野の経歴
画像出典:日テレニュース
・生年月日:2002年8月13日
・身長:158㎝
・体重:48㎏
神奈川県茅ヶ崎市出身。
実家が海岸に近いところにあり、両親がロングボード・ボディボードをやっていたこともあり、その影響で詩野も自然とサーフィンをやるようになったそうです。
6歳の時に地元茅ヶ崎のサーフィンスクールに入門、その初日にすぐに波乗りをマスターして周囲を驚かせた逸話を持っています。
2014年度、小学校6年生の時に日本サーフィン連盟公式検定にて、ショートボード1級・2級を取得。
2015年に茅ヶ崎市立第一中学校に進学。
2016年7月の夢屋サーフィンゲームス田原オープン大会にて日本プロサーフィン連盟(JPSA)公認プロ資格を取得。同大会では3位に入賞した。
同じ2016年には第51回全日本サーフィン選手権大会(田原市赤羽海岸)のガールズ部門で優勝を飾る。
この後、世界プロサーフィン連盟公式ツアーであるワールドサーフリーグ(WSL)ジャパンツアーに参戦を始め、WSL JAPAN第7戦のTRUMP Hyuga Pro(宮崎県日向市小倉ヶ浜海岸)にてシニアウィメンズ部門でプロ初優勝を果たしました。
2017年はWSL JAPAN ウイメンズジュニア年間チャンピオンに輝く。
2017年、2018年共にワールドサーフリーグランキングアジア女子部門で2年連続1位となりました。
2018年にプロサーファーとして世界を転戦することを考え、通信制高等学校に進学。
高校進学直後のWSL Q1000の一宮千葉オープン(千葉県一宮町・釣ヶ崎海岸)女子シニアで優勝。
2018年世界ジュニアサーフィン選手権大会(アメリカ合衆国・カリフォルニア州ハンティントンビーチ)では女子U-16で銀メダルを獲得し、団体金メダルを獲得しました。
2019年になると、5月に釣ヶ崎海岸で開催された第1回ジャパンオープンオブサーフィンに出場。日本のトップクラスサーファー16名によるこの大会では決勝戦で中塩佳那選手を下して初代ジャパンオープン女王となりました。
2020年3月に、バービー人形のモデルに選ばれた。黒柳徹子さん、大坂なおみさんに続いて日本人として3人目!
- 中学時代のあだ名は世界中を転戦していたことから「世界の松田」。
- 歌手の西野カナが2017年に発表した「Girls」のミュージック・ビデオに、詩野が『期待の女子アスリート』として出演しています。
- 父と姉が漫画好きであり、その影響で詩野も漫画をよく読む。好きな作品は『あたしンち』(作:けらえいこ)であると語っています。
東京五輪内定からの落選
松田選手は2019年9月には2020年東京オリンピックの出場枠が賭けられた『2019 ISA World Surfing Games』(宮崎県宮崎市・木崎浜海岸)に出場し、アジア選手最高の15位となってこの時は東京オリンピック出場権をほぼ手中としました。
東京五輪出場権を「条件つき内定」を勝ち取り、当時高校2年生の新星は一躍新種目の“顔”になりました。
しかし、東京五輪延期を経て21年にエルサルバドルで開かれたのWGで、日本選手2人に松田選手の成績を上回られたため、東京五輪の代表権を逃しました。
落選した当時のことを松田選手はこのように話しています。
「代表枠よりもオリンピックでいいサーフィンをみんなに見せたいとか、そこのイメージをしちゃっていた。もっと目の前のことに集中して、まず代表枠を取るっていう気持ちがもっと大事だった」
引用:デイリー
屈辱の落選からのパリ五輪正式決定!
東京五輪条件付き内定からの落選という屈辱からパリ五輪の出場を正式決定した松田選手。
その悔しさを原動力に変え、夢の五輪出場までたどり着きました。
その時の悔しさは原動力となり、松田を強くした。22年4月に脱臼癖のあった右肩を手術。目先の試合ではなく「今後のため」と長い競技生活を考えての決断だった。遠回りとなったが、時間をかけて体を作り直したことで確実に進化。日本代表監督の宗像富次郎氏は「体が大きくなってトップ選手と似たような体形になった」と成長ぶりを評価する。
さらに宗像氏は「精神的に強くなった」と分析する。今年6月のWGで敗者復活戦に回った際、松田は「気付かないうちに焦っていた」と即座に反省。次戦までの3時間で「勝ちにこだわりすぎたら駄目。気持ちを落ち着かせて、まずは自分のサーフィンに集中しよう」と雑念を捨てた。前回の落選は無駄ではなかった。
引用:デイリー
こうして夢だった五輪出場を見事に決定された松田選手。
パリ五輪でのメダル獲得に期待したいですね。
松田詩野が語るサーフィンの魅力とは?
松田選手はサーフィンの魅力について、
「同じ波が来ない難しさがありつつ、それを常にチャレンジし続けることができるのが魅力。国内外回って、その地その地で様々な地形や波が違ったりするので、色々な世界を知ることが出来るのもすごく楽しいです。」
と話しておられます。
タヒチの波はヤバい?
今回のパリ五輪のサーフィンの競技会場となるのはフランス国内ではなく、タヒチ島。
タヒチ島はサーフィンの島とも言われているそうです。
フランス・パリから1万5千キロ離れたほぼ地球の反対側にある島。
異例の分散開催になるだけでなく、日本国内には類がない「危険」な波だと言われています。
東京五輪のサーフィン会場は、千葉県の太平洋に面する釣ケ崎海岸(一宮町)。年間60万人ものサーファーが訪れる国内の「聖地」の位置づけで、昨年からは日本一を決める「ジャパン・オープン」が開催されている。
一方、約120の島々からなる仏領ポリネシアのタヒチは、パリから1万5700キロ離れている。むしろ距離的には、9500キロの東京の方が近い。
世界有数のリゾート地として有名な上、周辺は大きな波が起き、世界トップのツアー大会でも会場になっている。こちらも海外のサーファーにとっては有名な「聖地」の一つだ。
引用:朝日新聞
なぜタヒチの波が危険なのか。
それは、深い水深が急に浅くなる地形のため、特徴的な巨大な波が生まれるそうです。
タヒチの波に乗った経験がある東京五輪代表候補の村上舜選手(23)は、
「乗りこなすにはプロでも相当の技術が必要になる。国内に似た波がない」
と話しておられます。
そんな波を要するタヒチでの開催に、井本公文強化委員長も「タヒチなら嫌だという人もいるかもしれない」と言う。
なぜタヒチ島での開催なのか?
IOCは通常、複数の候補地がある場合は開催都市に最も近い場所を選ぶ傾向があるというが、今回本国から約1万5000キロ離れており、フライトには23時間も要するタヒチが選ばれた。
タヒチの他には、フランス本土南西部にあり、世界選手権も複数回開催されたビアリッツ、過去にCTの会場にもなっていたラカナウ、北西部のラ・トルシュなどが候補地として挙げられていた。
各種報道によれば、夏にほぼ確実にサーフィンに適した波が期待できること、競技環境や五輪期間前半の実施で選手が閉会式に参加可能であること、フランス領を含む連帯感の醸成などを理由からタヒチが選定されたという。
とはいえ、チョープーの底掘れするレフトのバレルは“世界で最も危険な波の一つ”と言われ、チャンピオンシップツアー(CT)にヘルメットを被って出場する選手がいたり、ケガを負う選手も珍しくなく、その波の脅威から女子のCTは開催されない。
CT以上に様々な国の選手が参加すると予想される五輪で、チョープーを採用したことについては様々な物議も呼んでいるが、AFP通信によれば、「大会組織委員会は、慎重にスケジュールを組むなどして、女子のサーフィン開催に向けての問題点を回避する」そうだ。
引用:THE SURF NEWS編集部
タヒチ島はサーフィン界では聖地とも言われているそうで、その波は美しくも厳しい波として有名なのだそうです。
危険も伴う競技なので、まずは無事に競技を出来ることを、そして松田選手にとって充実した結果になることを願います。
まとめ
日本を代表する女子トップサーファーでありながら、五輪出場をあと一歩で逃す悔しさを乗り越え、念願の五輪出場を決めた松田詩野選手。
パリ五輪サーフィンの会場となるタヒチ島についてもまとめてみました。
松田選手をはじめ、サーフィン日本代表の皆さんが難解な波に対してどのようなパフォーマンスを見せてくれるのか。
その結果メダル獲得に繋がるのか。
パリ五輪の開催を心待ちにしたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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