広島カープの22年ドラフト1位、斉藤優汰投手。
今日のオープン戦での投球が話題となり、未来の広島のエース候補とまで言われています。
斉藤投手のこれまでの経歴や首脳陣の評価、開幕1軍入りはあるのか?
など、斉藤選手に関する情報をまとめてみたのでよかったら最後までお付き合いください。
斉藤優汰の経歴
画像出典:YAHOO!JAPAN
2004年5月27日。北海道岩見沢市で産声をあげました。
「優汰」という名前には女手1つで育ててきた母親、明美さんの「優しくどっしりと育って欲しい」という願いが込められているそうです。
岩見沢市立日の出小学校で4年生の時に友人に誘われたことをきっかけに野球を始めます。
斉藤選手は小学校1年生から6年生までリレーの選手に選ばれるほど運動が得意だったそうで、当時やりたかったのはサッカーだったそうです。
近所の公園で友達とボールを蹴るのが好きでした。
しかし、母の明美さんの介護の仕事は朝早くから夜遅くまで。送迎がネックでした。
家庭の事情でスポーツを諦めかけた斉藤選手に友達が野球チームに誘ってくれました。
しかも練習の送迎も世話をしてくれたのです。
当時のメインポジションは捕手だったそうです。
斉藤選手が野球を始めてからは、野球の魅力にどんどんのめり込みました。
学校から帰ると毎日のように1人で黙々と壁に向かってボールを投げるのが日課でした。
明美さんが「夕飯の時間だよ」と呼びにいかないと帰宅しないほどの野球小僧になっていきました。
岩見沢市立明成中学校では軟式野球部に所属。
人数不足のため岩見沢市立緑中学校と合同チームを組んだ際、当時緑中学校の指導者である日向清一さん(現・岩見沢市議会議員)から投手転向を勧められ、2年秋から本格転向しました。
高校の進学先に選んだのは、家から車で1時間半以上離れた苫小牧市の苫小牧中央高校です。
中学の先生が高校の監督と知り合いだったことから紹介されました。
自宅からは通えず寮に入ることになります。
女手1つで育ててくれた明美さんと離れることに当時すごく悩んだそうです。
ですが最後は「真剣に野球に取り組みたい。自立して頑張りたい」と決断しました。
実は斉藤選手、高校入学当時、体格こそ身長1メートル80センチ、体重70キロで同世代では大きな方でしたが野球部の中で目立つ存在ではなかったそうです。
そんな斉藤選手に転機が訪れたのは高校2年の時の夏の大会。
苫小牧中央高校は、南北海道大会の1回戦で甲子園常連の北海高校と対戦しました。
先発を任された斉藤選手は2回途中4失点と打ち込まれました。
チームも2対4で敗戦。
「自分が打たれてチームに迷惑をかけた」。
責任を背負い込んで開き直るのが下手で、斉藤選手の優しい性格は、マウンドでは通用しませんでした。
「ピッチャーとして素質がありながら、自分に自信が持てていない」。
渡邊監督にはそのように映っていました。
秋の大会を終えてもピッチャーに1番求められる、打者に向かっていく姿勢は変わっていませんでした。
秋の個人面談で、かねてから勝負における気持ちの強さを説いてきた渡邊監督ですが、さらに厳しい声を投げかけました。
「プロに行きたいのかはっきりさせろ!」
そう言われた斉藤選手は、
「プロに行くにはやるしかない。」
と覚悟を決めたそうです。
そこから斉藤選手は3年生の春の大会で、前の年の夏に敗れた北海高校相手に9回2失点で完投勝利をあげるまでに成長しました。
2年前の入学の時に70キロだった体重は90キロを越え、身長も1メートル90センチに迫ろうとしていました。
自身最速の151キロをマークしたのもこの頃です。
毎日コツコツと続けた食事の成果も出てきました。
スカウト陣の目にも止まるほどの成長した斉藤選手はドラフト1位で広島カープに入団します。
斉藤選手がドラフト1位の契約金・1億円について使い道を聞かれると次のように答えました。
「野球道具の費用で金銭的に負担をかけたので、母親が欲しいものに使いたい」
斉藤選手は高校の3年間、大切にしてきたものがあります。
入学の時に明美さんに買ってもらった硬式用の茶色のグラブです。
毎日の厳しい練習でボロボロになりましたが新しいグラブは欲しがりませんでした。何度も手入れして使いました。
決してエリートコースを歩んできたとは言えない斉藤選手が、お母さんや支えてくれた周りの方々への感謝の思いを胸にプロ野球人生をスタートさせました。
斉藤優汰への首脳陣の評価は?
昨年、1軍での登板はなかったですが、「1年目は体作りをメインに」と話しておられていました。
シーズン終盤では自分でも手ごたえを感じる投球ができたと話している斉藤投手。
そして、前回のオープン戦で1軍戦初登板でしたが、3回6安打3四球1失点とほろ苦いデビュー戦で、本人も「甘い球を逃してくれない。変化球でカウントを取れなくて、真っすぐに頼って、その真っすぐを狙い打たれるというのが多かった」
と昨季日本一の阪神打線を相手に課題が明確となりました。
そして本日の1軍2戦目の登板は凱旋登板となり、家族や知人が見守る中、敵地・エスコンフィールドのマウンドに4回2番手で登板。
2回無失点3奪三振の好結果とともに、直球の自己最速を更新して故郷・北海道を沸かせました。
<オープン戦:日本ハム-広島>◇13日◇エスコンフィールド
高卒2年目の斉藤優汰投手(19)が、地元北海道で自己最速を更新する156キロをマークした。大瀬良に代わり、4回から登板。先頭野村を二ゴロに打ち取り、迎えたマルティネスの2球目だ。高め156キロで押し込みファウルとした。マルティネスは6球目152キロで見逃し三振に切った。
「ガンは見ていなかったので、あとで聞いた。地元で出せたのは、シンプルに良かったと思う」
気持ちは高ぶっていた。スタンドには家族や友人、恩師らが見守っていた。両軍の先発は日本ハムが苫小牧中央の先輩根本、広島は1月に自主トレをともにした大瀬良だった。「(根本は)高校の2個上の先輩でいろいろと相談に乗ってもらったので、同じ日に投げることができて良かった。(大瀬良)大地さんの試合を生で見るのは初めて。やっぱりすごいなと感じて、やる気がすごく出たというのはあった」。2イニング目となった5回は先頭レイエスにストレートの四球で歩かせるも、続く若林を149キロで空振り三振。捕手会沢がスタートを切った一塁走者を刺し、続く進藤も152キロで空を切らせた。
変化球の制球に苦しみながらも、力強い真っすぐは日本ハムのレギュラークラスを押し込んだ。「真っすぐはゾーンの中でしっかり勝負していきたいと思ったので、できて良かった。変化球があまりゾーンを捉えていなかったので課題かなと思う」。新井監督の計らいで実現した凱旋(がいせん)登板は、2回無安打3三振無失点。家族や友人だけでなく、新井監督にも成長した姿を強く印象づけた。【前原淳】
引用:日本ハム対広島 4回から登板の斉藤(撮影・黒川智章)© 日刊スポーツ新聞社
この投球にこの日の女房役の会澤選手や新井監督は次のようにコメントしています。
女房役のベテラン・会沢は「アドレナリン出まくっていて、ナイスボールだった。156(キロのボールに)に見えましたね」とうなった。新井貴浩監督(47)も「次にステップアップするための自信にしてもらいたい」と次代のエース候補のポテンシャルを感じとっていた。
引用:東スポWEBこの調子でカープの投手陣の軸となって活躍する姿を期待したいです!!
オフに合同自主トレを行った大瀬良投手からも次のようなコメントがありました。斉藤は、大瀬良の最速151キロを上回り、自己最速の156キロを出した。大瀬良は「ボクも悪くないと思ってたけど、かすんで見えますね」と、うれしそうにボヤいてみせて「いや、ホントにナイスボールだったと思います」とたたえた。斉藤は北海道出身で、知人らが応援に駆けつけていた。大瀬良は「『家族が見に来ます』って張り切ってた。元気な姿を見せられて、そのうえ結果も残せたので良かったですね」と“親心”ものぞかせていた。
引用:報知新聞社
開幕1軍入りに関しての情報は今のところありませんでしたが、今回の投球と高評価を見ると開幕1軍スタートもありそうですね!
まとめ
広島カープの22年ドラ1、斉藤優汰投手についてまとめてみました。
前回、田村俊介選手にも注目してみましたが、こうやって期待される若い選手が出てくるのはチームにとってはもちろん、ファンの皆さんにとっても見ごたえあるチームへと成長してくれることでしょう(^^♪
田村選手についての投稿をまだご覧になっていない方はこちらもどうぞ!

これから斉藤選手にはカープのエースへ成長してくれることを願いつつ、将来は日本を代表する投手になってくれることも期待したいです。
そして、今年の広島カープにも期待したいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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